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端緒

長大OB管弦楽団は、長崎市に本拠を置く長崎大学の公認団体「長崎大学管弦楽団」(1927年創設、通称:長大オケ・NUO)の卒業生を母体とし、2003年に発足したオーケストラであります。
 2002年12月福岡市にて卒業生数名が発起人となってアンサンブルと決起集会を行った事を契機として旗揚げし、2003年には第1回演奏会が実現しました。それ以降、不定期ながら演奏会を重ね現在に至ります。

大学オーケストラと
OB管弦楽団

大学オーケストラとOB管弦楽団

 現在、日本の多くの大学にはサークル活動としての大学オーケストラが組織されており、長崎をはじめとする九州圏内の諸大学も例外ではありません。数十(あるいは数百)人の団員を擁し、定期演奏会をはじめ年数回の演奏活動を行う大学オーケストラという組織は、学内においても地域においても文化的に極めて重要な位置を占めているといえます。また、楽壇においても大学オケは重要なポジションを担い、我が国における数々の曲の初演をしたり黎明期の職業演奏団体を組織する際の母体となったりすることもしばしばありました。
 このような旺盛な活動の結果として各大学はそれぞれ、規模の大小はあれ多くの優秀な卒業生を輩出していくこととなります。多くの卒業生が、学生時代の活動だけにとどまらずそこで培った演奏技術や交友関係を基盤としながら、活躍の場を拡げていくこととなります。このように毎年再生産される卒業生は、学生時代の経験を生かし各方面で活躍しながら自らの淵源たる出身校へ集うことにはいささかの疑問もないといえるでしょう。

長大OB管弦楽団の
設立

長大OB管弦楽団の設立


1927(昭和2)年に創設され、その後紆余曲折を経ながらも継続・発展してきた長崎大学管弦楽団にとって、OBオーケストラの設立は悲願でありました。しかしながらそうした願いが結実することのないまま、星霜の歳月が流れ時代は平成へ、21世紀へと進んでいくこととなります。
 長崎大学においてOBオーケストラの設立が遅れた理由は、大きく分けて2つ考えられます。ひとつは団体の性格にあります。オーケストラという団体はその性質上、各楽器の競技人口と必要人数に偏りが生じます。プレイヤー数の少ない楽器は奏者不足となり、複数団体の掛け持ちが常態化します。また逆に、プレイヤー数が多い楽器は余剰人員を抱える結果となります。スコア上のパート構成を維持するためには、楽員構成の調整によってオーケストラを編成することが必要とされ、メンバーの偏差に頭を悩ませる結果となります。
 もうひとつは地理的な理由でしょう。江戸時代より遊学地として名高い長崎の地にある大学として、毎年優秀な人材を多く輩出しています。しかし都心の大学とは異なり、卒業生の多くはその社会的要請から全国各地へと就職・進学していきます。地元に残った者でも多くは地元の楽団に吸収されて音楽活動を行っており、活動の場には困ることがないという現状がありました。このような理由から、長崎では離散した人員を集めることに苦慮することが多く、長らくOBオーケストラの設立には至りませんでした。
 このような状況の中、「長崎大学にもOB管弦楽団を」という声が高まり、団体設立に向けて動き出しました。とはいえ、創設には多大なる苦労を伴いました。人集めだけでなく練習回数等の成約も受け、選曲も既存の(演奏経験者が比較的多い消極的な)曲にせざるを得ませんでした。こうして産みの苦しみを味わったOB管弦楽団は、その後も幾多の荒波を乗り越え、飛躍的に成長を遂げる事となります。長大OB管弦楽団は、まさに現在進行形のオーケストラであるといってよいでしょう。
 一般的に総合大学には必ずあるといっても過言ではないオーケストラは、OBオケを組織しているものの毎年増え続けるOB・OGを吸収することが不可能であることは衆目の一致するところとであるいえます。このため、世代ごとにOBオケが組織されることが通例であり、一部の楽器を除いて世代間の隔絶は避けられません。当然呼称も個々別々となり、一見しただけではどのような性格の団体か判別することはできないオーケストラが多数存在するのも事実です。しかし、70余年の熟成期間を経て設立された長大OB管弦楽団は、そのような団体とは一線を画し単一団体として存在しており、他大学のOBオケでは類を見ない年齢構成となっております。

オーケストラの
存在意義

オーケストラの存在意義

「オーケストラ」「クラシック」という謂いは広く人口に膾炙しており、グローバル化の進展とともに、チャンネルを回せば世界レヴェルの演奏が、現地に赴けば生の演奏が容易に聴取可能な時代となっています。また「クラシック」という語の意味を辞書に問えば、一線級・模範的な芸術ということになり、価値が万人に認められた芸術ということになるでしょう。この解釈には批判もあるでしょうが、このように評価が確立されたものとして残されている極めて限定的なプログラムを繰り返し演奏することによって、大衆が離れてしまうという結果を招いているのは事実であります。
 周知のように現在のオーケストラはその大半が18世紀後半から20世紀前半の曲を繰り返し演奏し、とりわけ19世紀の作品を取り上げる機会が多いといえます。これは、クラシックという形態の音楽が辿った道を考えるとき、極めて重要な現象であると考えられます。
 クラシック音楽における現代作品は、調性・リズム・旋律の崩壊が随伴し、これまでの音楽を構成していた要素を根本的に見直すといった方法で作曲されています。これは作曲技法を極限まで追求した結果として作品に現れる事象といえます。ですが、このような曲が再演されることは一部を除き極めて稀でしょう。演奏会の企画者も集客を考慮し、前衛的な作品を意欲的に取り上げることには躊躇することが多いといわれています。こうした傾向も相俟って、オーケストラは極めて19世紀的な存在として多様化する大衆の価値観の中に埋もれてしまう可能性を孕んでいます。こうして音楽需要の本流は、アイドル・バンドなど別の形態が担い、クラシックは「高尚」としてますます敬遠されることとなりました。
 では、こうした潮流の現代においてオーケストラの存在理由(レゾン・デートル)(raison d’être)とはなんでしょうか。世に言う「クラシックファン」とは、文字通りクラシック音楽のファンを指しています。この中には、たとえ限定的なプログラムであってもオーケストラを選好する層が一定数は存在することはたしかでしょう。しかし、この層が好むのは彼の地の有名プロオーケストラの演奏であり、ディスク・放送を介した録音で、またあるときは生の演奏で聴取することを目的としています。このような集団に対し、プロ・アマを問わず満足度の高い演奏会を企画・運営することは至難の業であるといっても過言ではないでしょう。しかし、一般向けに有名曲シリーズや玄人向けのプログラムを企画した場合であっても、観客の要望を満たしうるのは容易ではありません。また昨今「聴衆参加型の」「観客と一体になった」演奏会等も模索されていますが、この問題はまだ解決を見ていません。演者と聴衆の関係は今後の更なる検証が待たれる事柄でしょう。
 加えて演奏者の技量も演奏会の成否に大きく関わる問題です。とりわけアマチュアオーケストラの場合、企画さえできれば演奏会は開催可能であるため、演奏水準はまちまちである場合が多いはずです。高い演奏水準を維持しつつも、独自の存在意義を持たず固有のファンを獲得していないオーケストラは、ともすれば自己満足の演奏会開催団体に終わってしまうといえます。逆に演奏水準は必ずしも高いとはいえないオーケストラでも、豊かなフェン層を有する団体は数多くあります。単なるテクニックの熟達だけでない演奏能力の向上こそが、アマチュアオーケストラの真の存在意義といえるのではないでしょうか。

「AB ALTO AD ALTUM
(高きより高きへ)」

「AB ALTO AD ALTUM(高きより高きへ)」

タイトルの標語は、長崎大学が掲げる教育・研究目標のひとつです。ラテン語によるこの標語は、既成概念を打ち破り(それまで)ゴールとされていた地点よりもさらに高みを志向するという意味であります。このような学風の中で育った卒業生は、何世代にもわたって地域・分野を超えて活躍してきましたし、今後もますます飛躍していくことでしょう。
 長大OB管弦楽団は、長崎という独自の地域性を前提に存在しており、優秀な人材母体と潤沢な観客層をすでに有しております。さらに、全国から卒業生有志が結集することも相俟って、まさに「竜に翼を得たる如し」と言ってよいでしょう。団員はそれぞれ演奏会に向けた自己研鑽を行い、自己満足に終わることのない演奏団体を志向しております。このように地域の演奏団体の一翼を担っていることを自覚し、長崎大学の標語である「AB ALTO AD ALTUM(高きより高きへ)」を実践すべく自らの演奏技能を高めると同時に常に自己相対化・刷新を行いながらさらなる発展を模索していく団体であると自負しております。








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